2013年6月16日日曜日

木田元 新人生論ノート

2005 株式会社集英社

時間について

時間というのは、自分ではわかっているつもりなのに、人に説明するのはむずかしい。
昔から多くの人が、時間を川の流れにたとえてきた。
孔子は、川のほとりに立って、過ぎゆくものはこの川の流れのようで、昼も夜も休まないと言った。
鴨長明は「方丈記」で、世の中の人と住まいのはかなさを、ゆく河の流れに浮かぶ泡にたとえた。
水は川上から川下へ流れていくから、一般に受け入れられている物理学的時間と同じ性質がある。
物理学的時間は、過去から現在、そして未来へと不可逆的かつ等質に推移していく。
哲学者や文学者は、このような時間概念に抵抗して、さまざまな時間概念を展開してきたらしい。
それはそれで興味深いのだが、かなり面倒なことになりそうである。
時間を川の流れにたとえるなら、我々も水といっしょに流される泡のようなものであるはずである。
ところが、感覚的には、橋の上に立って水の流れを見ているようなつもりになってしまう。
自分は変わらないのに、時間が未来からやってきて、過去へと流れていくように感じるのである。
時間というものがあり、自分も変わっていくのにそれに気が付かない。
いつまでも自分が変わらないものだと思い込んでしまう。
60か65になっても、これからも前向きに生きるには、どうしたらよいかなどと考える。
電車で席を譲られるようになって、はじめて自分が歳を取っていることに気づかされる。
何もわからずに生まれてきたのとおなじで、何もわからないうちに死んでいくらしい。
そうなる前に、たまには、ゆっくりと過ぎるともなく過ぎていく時間を味わいたいものである。

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