2013年3月11日月曜日

古賀茂明 官僚の責任


2011 株式会社PHP研究所

個々の官僚に絶対的な権力があるわけではないが、官僚全体としては、日本の支配階級である。
典型的な官僚は、東京大学法学部をトップクラスの成績で卒業する。当然、小学校、中学校、高等学校でもトップの成績であったはずである。
このような人たちは、プライドが高く、つねに評価され、認められ、一目置かれることを望んでいる。
ところが、民主党が政権を取ると、管直人のように、「あいつらバカだ」と言う政治家が彼らの上にすわってしまった。
民主党の政治家にしても、霞が関のトップになったのはいいが、まるで敵の陣地に入り込んだようなものである。
民主党と官僚との協力関係は薄れ、民主党の言う「政治主導」というスローガンは、政治家が官僚を排除して、自分たちで何もかもやることに置き換えられたが、知識の乏しい政治家にそんなことができるわけもなかった。
政治家と官僚の非協力的な関係は、東日本大震災と原発事故のときにも見ることができた。
このとき、いらだつ管首相は、官僚を排して、自ら原子力発電所を視察したり、混乱する東京電力の現場に乗り込み、「おまえら、ちゃんとやらなかったらしょちしないからな。」と高圧的な態度で脅かした。
管首相は、官僚にたいする不信感を強め、自分自身で専門家のアドバイスを受けようとした。
官僚は首相にたいする的確なアドバイスをすることもできず、首相官邸と東京電力のあいだのメッセンジャーとなって、責任を逃れようとした。
このとき、著者が言うように、管首相が、「俺にできることは、何でもするから知恵を出せ。」とか「俺が責任を取る。」とか言って度量のある態度を示せば、原子力事故に対する対応も、あるいは違っていたのかもしれない。
素人には、原子力発電の仕組みはわからないと思いこんでいたが、あとから見れば、ようするに一刻も早く原子炉に水を注入すればよかったのである。もっと早く、アメリカの協力を求めていたり、海水を注入する決断をしていればと悔やまれるのである。

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