2011年11月18日金曜日

赤坂治績 江戸っ子と助六

2006 株式会社新潮社

1944年生まれ

演劇評論家

助六は、歌舞伎の助六劇のヒーローである。
江戸で市川団十郎が演じた助六劇は、「助六由縁江戸桜」という名題で演じられた。
助六、実は曽我五郎は、侠客に身をやつして吉原に通い、親の敵を探している。いっぽうヒロインは、吉原の花魁、揚巻である。
助六という芝居を江戸の庶民が愛した理由は、助六のなかに「江戸っ子」の理想像を見出したからであろう。
江戸という町は、徳川家康がつくったので、それ以前からの住人というのはほどんどいなかった。
それでは、どういう人が移り住んだのかというと、武士のほかには、農民は土地に縛り付けられていたのでおらず、職人や商人である。
それ以外にも多かったのが、士農工商という身分制度の制外の者であった。
あらゆる地方から、それこそ、木の葉が風に吹き寄せられるように集まってきたのであろう。
将軍様のお膝もとで生まれ育った「江戸っ子」は、古くからの上方文化に対するコンプレックスをもつと同時に、プライドが高かった。
「江戸っ子」には、見栄っ張りだとか、口が悪いとか、喧嘩っ早いとかいう気質があり、ようするにガラが悪いのだが、これを自慢にした。新興都市に人が集まって、活気とエネルギーがあり、新しい文化を作っていったのが、江戸の文化の特徴である。
助六というキャラクターがいかに庶民の間で人気があったかは、現代でも、「助六ずし」という名前が残っているのでもわかる。
「助六ずし」は、巻きずしと稲荷ずし(揚げずし)が入っていて、揚げと巻きを助六の恋人である揚巻に、ひっかけて名付けられたのものらしい。
稲荷ずしは、油あげのなかにごはんを詰めたものだが、これを稲荷ずしというのは、稲荷にゆかりのある狐の好物が油であるという言い伝えからきたものである。また、別名を「しのだずし」というのは、これも歌舞伎などで演じられている信太の森の狐の話からきたものだという。信太の森の狐は「葛の葉」といい、人に化けて安倍保名と結婚し子供をもうけたが、その子供が安倍晴明である。狐が、正体が知れて森に帰って行ったとき読んだのが、「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌である。
いまでは歌舞伎は、一部の人が鑑賞するだけであるが、江戸の庶民にとっては、身近な現代劇であった。

0 件のコメント:

コメントを投稿