2010年11月17日水曜日

野中広務 老兵は死なず

2005 株式会社文芸春秋

1925年生まれ

小渕政権の官房長官、森政権の自民党幹事長を務めた。2003年、議員を引退するが、その後も政界に強い影響力を持っている。
「戦後保守政治の良識」を代表する著者は、小泉政権を阻止するため奮闘したが、敗れて、政界から身を引いた。

「小泉政権以降の経済政策をひとことで言うと、緊縮財政による焦土作戦ということになるだろう。
小泉さんの、『自民党をぶっこわす』は、まったくそのとおりのことをやっており、それは、とりもなおさず、中小企業、農家、商店といった自民党の旧来の支持基盤を、文字どおりぶっこわしながら、アメリカの巨大資本、日本のいくつかの有力資本、オリックスなどの新興金融コングロマリットを中心として経済の再編をすすめるということになる。
その際には、古いシステムはハードランディングで破壊するということになる。
その経済政策のイデオローグ的象徴となったのが、竹中平蔵氏である。」(p252)

「小泉さんの地元の横須賀には米軍基地があり、基地交付金や基地周辺事業でお金が落ちてくるので、財政面での不安がなく、陳情の必要もない。
小泉さんはいわば地方財政の苦しみ、痛みを知らない政治家で、だからこそ公共事業の縮小と言われても、何も感じずに自分の意見のように口にできるのだろう。
責任をとる立場にない民間有識者を集めて首相直属の審議会で政策を作らせ、選挙で信任を得ていない民間人を大臣に起用してそれを実施させるというのが、小泉さんのやり方だった。
しかし、この行き着くところはとても危ういと私は見ていた。」(p255)

著者は、このほかにも、小泉批判をいくらでも繰り広げている。
著者から見ると、郵政も道路も民間にまかせてしまえばいいという姿勢は、政治の放棄としか思えない。
今から見ると、「郵政民営化」が、そんなに重要なことだったのだろうかという気がするが、小泉首相は、「刺客候補者」をつぎつぎに擁立して、長年自民党に貢献した政治家を追いつめ、政治生命を奪っていった。
小泉首相は、「改革」を強調したが、おもいつきの発想を瞬発的に行っているだけで、その先にどのような日本があるのか示すことはできず、日本の屋台骨をつぶしてしまったという。
小泉首相は、「自民党をぶっこわす」と気勢をあげ、そのとおりになって、民主党の政権が誕生した。
まだ小泉政権の評価は定まっていないにしても、戦後政治の大きな節目であった。

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