2010年11月8日月曜日

加藤典洋 聖戦日記 抄

1999 日本の名随筆 昭和Ⅱ 株式会社作品社

1948年生まれ

「・・・先生は、黙ってうなずいていた。しばらくして、こう言われた。
たしかにドイツや日本は周辺国を併合したり、カイライ政権を樹立したりしようとした。しかしそれだって今回のクウェート進攻とは違う。クウェートの大半の住民がイラク軍を歓迎した。貧しければ貧しいほど、クウェート解放を喜んだ。ここには正義がある。ヒットラーにもヒロヒトにも、正義はない、と。
アッラーは民族を超えている。イスラムはゲルマン民族神話とも極東の異端の民族宗教とも全く違う。原爆が落ち、イラクが滅んでも、アッラーには何の関わりもない、と。
・・・サダム・フセイン大統領は日本人に言ったそうだ。
『アラブは一つの国ではない。一つが滅びれば別の国が立ち上がり、アラブの十九の国が反乱を起こす。世界十億のイスラムの人々が聖戦的殉教者としてイラクとともに戦うだろう』。
ぼくはブッシュもサダムも、好きではない。でも、戦う。誰だって、自分の住んでいるところに敵が攻めてきたら、そして友達や家族が死んだら、戦う。」
(p236)

イラクには、このような考えをもった若者がいるのかもしれない。
「自爆テロ」とか「テロとの戦い」というような単純な言葉だけでは相手を理解することはできない。
このような人たちと、どう接したらよいのか、極めて難しい問題である。

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