2010年10月1日金曜日

半藤一利 それからの海舟

2003 筑摩書房

1930年生まれ

勝海舟は、徳川慶喜が「鳥羽伏見の戦い」から逃げ帰ってから、西郷隆盛と交渉して、江戸城の無血開城と慶喜の助命という大仕事を成し遂げた。
その後、慶喜は水戸に移され、さらに静岡に移された。慶喜の静岡移住についても、海舟が尽力し、海舟も静岡に移った。ところが、自尊心の高い慶喜は、困ったときには海舟を頼りにしたのに、逆に危機が去るとともに、弱みを握られている海舟を遠ざけ疎んじるようになった。それでも、海舟の仕事は、移ってきたおおぜいの徳川家の家臣たちにどう職をみつけるか算段することであった。このとき新たに開墾した原野に茶を栽培したのが成功して静岡茶は全国的なブランドになったらしい。
いっぽう、新政府の方でも、しきりに、海舟を政府の要人として迎えいれようとした。
海舟は、受け入れはしたものの、それほど熱心に仕事をしたわけではないらしい。
明治時代の海舟の主な仕事は、旧幕臣の生活の世話と、慶喜の名誉回復に尽力することであった。

西郷隆盛にたいする海舟の友情は、生涯変わることがなく、西南戦争直後の明治12年、ひそかに西郷隆盛を追悼する石碑を建てた。
この石碑は、海舟の死後、荒川放水路の掘削工事のさい、洗足池のほとりの海舟の墓の隣に移された。

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