2010年5月10日月曜日

半藤一利ほか 零戦と戦艦大和

2008 株式会社文芸春秋

「文芸春秋」の座談会を収録したもの。
戦艦大和は、日本が誇る巨大戦艦である。
しかし、建造当時から、すでに大艦巨砲よりも航空の時代だといわれており、山本五十六は、大和の建造に反対したという。
それでも大艦巨砲にこだわったのには、政治と利権がからんでおり、艦船建造予算に付随する人やポストが多く、簡単に舵をきれなかったこともある。
海軍を退役したあと、造船会社に天下る軍人も多かった。
ちなみに、半藤一利によれば、大正11年にワシントン海軍軍縮条約が結ばれて、新しい艦船の建造が制限されたので、造船会社の仕事がなくなったため、永代橋、勝どき橋など隅田川にかかる多くの橋を造船会社に造らせたのだという。

戦艦大和は、沈んでしまったが、戦後、呉海軍工廠は、アメリカの海運会社が、設備を借り受け、船舶の建造を始めた。
大和を建造した技術や設備は、戦後も健在で、昭和31年には、日本は造船量で世界一になった。

呉の造船所の運営を任されていたのが、後にNTTの社長になり、リクルートの未公開株事件で失脚した真藤恒である。
真藤恒は、石川島播磨重工の社長から、民営化される電電公社へ送り込まれた。
彼を推したのは、同じく石川島から東芝の社長になった土光敏夫である。

こうして見ると、世の中で何かが決定がされるのは、合理的な理屈ばかりではなく、むしろ偶然や、金とか人間関係によるところが大きいのではないかと思う。

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