2010年4月19日月曜日

山内昌之 嫉妬の世界史

2004 株式会社新潮社

1947年生まれ

嫉妬とは、どのようなものだろうか。
著者によれば、「何かと自分と同じ程度にしかできないか、あるいは自分ほどにもできないと見ていた人間が世の賞賛を受けたときに出る素直な感情こそ、嫉妬なのである。自分ができないからこそ人の成功をねたむ場合もあるだろう。いずれにせよ、身近の者がほめられると、大多数の人は対抗心と名誉欲を押さえられないものだ。その感情の量が多い人こそ、嫉妬の炎を燃やすのである。」(p11)
日常的にも、容易に嫉妬の顔を見ることができることがある。
テレビで見るフィギアスケートや女子マラソンの解説者の表情である。
すばらしい競技をした若い後輩に対するよそよそしい祝福の言葉と表情のちぐはくさに嫉妬とはどういうものかが表れている。

嫉妬は女だけのものではない。男の嫉妬はそれ以上に陰湿で粘液質である。
昔から競争にされされてきた男の嫉妬は無視するわけにはいかない。
歴史上の人物で、嫉妬に無関係だった人は、ほどんどいない。
本書では、歴史上の人物のエピソードを通じて、嫉妬とはどのようなものかが書かれている。たとえば、徳川慶喜は臣下を認められない君主として、森鴎外は激しく嫉妬されるとともに嫉妬した人物として、そして、東条英機は嫉妬深い独裁者として書かれている。

嫉妬されないための方法はあるのだろうか。
自分がダメな人間のように振る舞えば、まず嫉妬されることはない。
そのかわり、今度はバカにされる。バカにされたくないから頑張って成果を出す。
そうすると、こんどは誉められたり評価されるのではなく、嫉妬されてけなされる。
どちらにしても他人の嫉妬から逃れることはできそうにない。
嫉妬から逃れるいい方法はないが、なるべく人と付き合わなければ、嫉妬されることも少ない。
それより、嫉妬を意識して、事なかれ主義におちいり、やる気をなくしてしまうのでは何にもならない。
他人の目を恐れて委縮するのではなく、ときには自分を主張する勇気と自信も必要である。

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