2010年2月17日水曜日

芳賀善次郎 旧鎌倉街道・探索の旅 ―下道編―

1915~1987 株式会社さきたま出版会

「鎌倉街道」とか「鎌倉道」という言葉を聞くと、なにか不思議な気がする。。
これらの道のなかには、鎌倉時代以前からの道もあり、関東各地と鎌倉とをつないでいた。
著者は、今では断片的になってしまったこれらの道を、じっさいに歩いて探索した。
鎌倉街道には、上道・中道・下道などがあるが、そのうちの下道は、いちばん東京湾に近い道である。
下道は、7~8百年前のものなどなにも残っていないように見える都市の中の身近な道である。
横浜市の上大岡あたりから、東京の浅草までの道はだいたいわかっている。
保土ヶ谷で見た「かまくらみち」は、神奈川区の台地上を進んで菊名あたりの尾根ぞいの道に通じ、さらに多摩川を渡って、沼部に到る。
沼部からは、二手に分かれて、上池台経由と、池上から大森経由で、大井町に到る。
大井町から、高輪、三田、大手町を経て、浅草に到る。
道はさらに、市川や松戸に通じている。
鎌倉時代には、江戸氏一族が、いまの東京一帯を支配しており、江戸氏の館は、浅草北部の石浜にあったらしい。
また、江戸氏一族の墓は、大田区鵜の木の光明寺にある。
旧鎌倉街道は、一見、なんでもない道であるが、それと知って歩くと、往時を偲ぶ史跡に出会うことができ、 文字通り、点と点がつながってくる。
また、東京から横浜にかけて、今よりもずっと海が奥地に入り込んでいたのが想像される。

写真は、大森付近(旧新井宿)の石碑
古代の東海道
中世の鎌倉街道
近世の平間街道であったという。

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