2009年9月19日土曜日

梅原猛 歓喜する円空

2006 株式会社新潮社

1925年~ 哲学者

「円空研究は戦後に始まり、以後、民間の研究者によって続けられてきた。
そのような事情ゆえであろうか、円空は今でもアカデミズムにおける研究の対象にはなっていない。止利仏師や定朝、運慶などの研究者は大学にたくさんいるが、円空を研究する学者は皆無に近く、講座もない。私はこの現状を嘆かわしいと思う。私が見るところ円空は止利仏師、定朝、運慶らに並ぶ、いやそれ以上の芸術家である。・・・」(p93)

「円空は護法神を多く作って、日本の神々がすべて護法神となって仏法を護ることを願ったが、以後、仏法を排斥する神の学、国学というものが起こり、明治維新を迎える思想の原動力の一つとなり、明治新政府をして神仏分離・廃仏毀釈の政策を採らしめた。まさに円空の期待に反して神が仏を滅ぼしたのである。しかしその神は円空の言う、縄文時代の昔から日本にいる神々ではなく、新しく作られた国家という神であった。実はその新しい神は、仏とともに日本のいたるところにいた古き神々をも滅ぼしたのである。そしてその新しき国家という神もまた、戦後を境にして死んでしまったのである。こうして日本は世界の国々の中でほとんどただ一つの、少なくとも公的には神も仏も失った国となったのである」(p371)

円空は江戸時代の僧で、各地を遍歴し、多数の円空仏と呼ばれる木彫りの仏像を作成した。本書には、円空仏の写真が多数あり、荒削りのなかに、それぞれの神仏の特徴がみごとに表現されていて、興味深い。分厚い本のことでもあり、わたしは著者の記述はほどぼどにして、写真を主に鑑賞し、楽しんだ。

日本人は海外に出かけて自分の宗教を尋ねられて困るという。仏教徒といえばそうだし、神道ともいえそうだ。日本では、ふるくから神と仏が共存していたのだから、今日の人々の生活や意識のなかでも、両者は、無理なく共存している。
神と仏とが、はっきりと分離されたのは、明治維新のときの廃仏毀釈と神仏分離令のためである。神仏が分離されただけではなく、神様も国家神道によって皇室の祖先神を中心にして再編・統合された。国家神道は、昭和の戦争時まで猛威をふるい、民間で信仰されていた多くの社が取り壊された。そのなかでは、ご利益も大きいが、粗末にすると祟りが怖いというお稲荷さんは、かなり多く生き残ったようである。

おおくの現代人は、宗教に無関心で、とりわけ神社と言えば昔から同じようにあるかのごとく思ってしまうが、じつは、今日の姿になったのは明治以降のことであると知ったら驚くであろう。
私は詳しくは知らないが、戦後は神社もお寺もほとんどすべて宗教法人としてしか存続できなくなったらしい。お寺は人が死ぬたびに多額の御布施をえて、税金もかからないからますます富んでいく。いっぽう、それほどの収入のない神社の経営は苦しいらしく、木を伐採して駐車場にしたり、幼稚園を経営したりして、なんとかやっているように見える神社もある。

駐車場の中に寒々と立っている社を見ると、著者の「現代の日本は神仏を殺したことによって祟られている」という言葉が、思い出されてくる。

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