2009年9月7日月曜日

吉本隆明 真贋

2007 講談社インターナショナル株式会社

1924年生まれ 詩人、批評家、思想家

著者は文学・思想・政治・社会・宗教など広範な批評活動を展開し、「思想界の巨人」とも呼ばれている。
もともと、東京工業大学を卒業し、技術者であったが、失業をきっかけに文筆活動を始めたのである。
その意味では、専門の学者ではなく、フリーの研究者といったほうがいい。
著者の作品は、難解であることでも知られているらしいが、この本については、80歳をすぎて書かれたもので、むしろ単純な考えや一般常識とズレていることがならべられているのに驚かされる。

まず、「まえがき」では、いじめの問題は「いじめるほうもいじめられるほうも両方とも問題児だ」と言うが、いじめの問題の深刻さを考えると、なにか違和感を覚える。

「いまの日本は、明るいけれども、どこか寂しく刹那的な雰囲気が感じられます」(p20)と、詩人らしい感性の感じられる言葉もある。

オウム真理教の地下鉄サリン事件の時、著者は「親鸞の影響を受けた僕の考え方からすると、批判するにせよ、認めるにせよ、オウム真理教の開祖である麻原彰晃の気持ちを探り、どういうつもりでこういう事件を起こしたのかを第一義に解明しなければならないことを言いました。
ところが、そういう方法をとると言っただけで僕は怒られてしまいました。吉本は麻原彰晃を擁護している、という記事がでたのです」(p58)とのことである。もし、麻原こと松本が、本当に宗教家としての思想があって、あの事件を起こしたのであれば、法廷で主張するべきであったが、事実を振り返ると、自身の宗教にたいする信念などはない人間のようである。

戦争についても、著者の考え方は、「戦争には正義の戦争と侵略戦争があるというのはばかなことです。戦争はみんな悪であって、善玉、悪玉なんていうのはない。善玉だと思っているやつ同士が戦争をするわけですから、双方で理屈はいくらでもつくのです」(p98)というわけである。したがって、「日本が中国で悪いことをしたことは確実でしょうが、・・・戦争というのは、相手もやるし、こっちもやるというところがあって、一方的ではないということはあります」(p98)と現代の一般的な歴史認識とは異なることも言っている。

著者は、非常に博識であり、次の文章などからも、アイデアが次から次へと湧いてくる様がうかがえるようである。
「僕が批評眼を磨くためにやってきたことは、ただ考えるとか、ただ本を読むというだけではなく、体の動きと組み合わせて修練するということです」(p77)
「体を動かすことを伴った修練をした人は、強いところと弱いところを交互に繰り出し、しかもリズミカルに文章を書いていきます。ところが、そういう修練をしない人は、同じ意味のことを書いても、のっぺらぼうな文章を書くのです」(p78)という。

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