2009年9月12日土曜日

21世紀の日本人へ 金子光晴

1999 株式会社晶文社

1895~1975 「虚無をはらんだ自由人の眼と人間的嗜欲に執した反権力の詩をつづる」(広辞苑より)

「明治人」(1969)より

「一口に明治人といっても、明治の社会でのさばっていたのは、明治のはじまりにすでに二十歳三十歳を越している連中のことで、遠くは天保、弘化、安政あたりに生まれた筋金入りのつわものどもである。・・・」

「言ってみれば、明治生れは芯がなく、風にそよぐ葦で、風のまにまに、西へなびき、東へなびきするだけのことである。大正の自由風が吹いてくれば文化人の急尖鋒になり、昭和の戦争が始まれば、きのうの自由人も、けろり閑として翼賛の音頭をとると言った按配で、それは大正生れや、昭和生れではなくて、今日、土性骨があると言われている明治生れである。恥知らず明治生れは、さすが敗戦の当座は、まが悪そうにして、若人の不信感の前にしおれた顔をしてみせていたが、今日ではまたぬけぬけとして、巻き返しムードの黒幕になり、古い権威の返り咲きにいつも一役買っているのは、おおむね明治生れのようだ。・・・」

「絶望の精神史」(1965)より

「日本人は、近世になってからも、三百年の長い鎖国が続き、きびしい上下の身分で制約された、圧制的な封建制度のもとで、東海の果てに完全な孤立を強要されてきたのだ。ようやく鎖国は解けたと言っても、明治の新しい政府は、文明開化の列国に伍してゆくために、民心を堅くする手段として、精神的自由を極度に排し、古い儒教精神と、義理人情を残した。そのことが、今日にいたってまで、まだ、日本人の手足をしばり、『民をして知らしむべからず』の政策を続けているのである」

著者は若いとき、外国を放浪した経験があるので、日本や日本人についてよく考えている。
著者の言うように、私たちが明治時代の人だと思っていても、江戸時代に生まれて教育を受けた人が多い。言いかえれば、鎖国時代に儒教教育を受けた「江戸人」である。
そういう考え方をすると、戦後の政治家を始めとする日本の指導者は、じつは「明治人」であったことになるだろう。
それならば、江戸時代の封建的な身分制度における精神構造が根強く残っていたとしても、すこしも不思議ではない。

戦後に教育を受けた団塊世代は、日本国憲法のもとで、はじめから日本は自由で平等な国であると教えられてきた。
それも、学校を卒業するまでの、言ってみれば、フィクションの世界でのことであった。
就職してから、官庁に入ったものは「お役人様」で、民間企業に入ったものは身分の低い「商人」だと知らされるのである。
現代の日本には、もちろん身分制度はないのだが、官尊民卑という精神構造は最近に至るまで変わらなかったらしい。

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