2009年8月26日水曜日

白洲正子 日本の伝統美を訪ねて

2001 株式会社河出書房新社

1910~1998 
本書は著者の対談集で題名と対談の相手は次の通り

工芸に生きる 草柳大蔵(1968)
日本人の心  谷口吉郎(1977)
十一面観音を語る 上原昭一(1978)
大人の女は着物で勝負 原由美子(1980)
骨董極道 秦秀雄(1985)
象徴としての髪 山折哲雄(1986)
西行と芭蕉 目崎徳衛(1989)
能の物語「弱法師」 河合隼雄(1990)
「能」一筋 友枝喜久夫(1990)
日本人の美意識はどこへ行った 鶴見和子(1994)
明治維新の元勲たちを論ず 津本陽(1995)
人間も骨董と同じで一目見たらわかるわ 阿川佐和子(1998)
人の悲しみと言葉の命 車谷長吉(1998)

私にとって、この対談集で、最も意外な相手は、車谷長吉であった。白洲正子といえば、金持ちのイメージが強いのに対し、車谷長吉は貧乏人のイメージがあるからである。車谷の小説「吃りの父が歌った軍歌」を読んで、白洲が車谷に手紙を書いたのが縁である。白洲の手紙には、「車谷さんの文章は一気に読ませる力を持っている」とか「言葉が生きている」とか書いてあったというが、車谷は、すっかり喜んで、その手紙を宝物にしていた。実際に二人が会ったとき、白洲が、「車谷さん、おそろしい、こわい」と言ってくれたのにも感激している。何年かのちに、車谷は直木賞を受賞しているから、白洲正子の見立ては、確かだったのだ。また一方では、白洲の励ましが車谷に小説を書かせたという一面もある。車谷は、高橋順子と結婚したが、それ以前から白洲は二人とも知っていて、二人が結婚すると聞いておどろいたらしい。あらためて考えると、車谷は、慶応大学に学び、文学の素養もなみなみならぬものがあるのであろう。ただ、子供の頃のことまでよく覚えている記憶力を持ち、周りの人は小説の題材にされて私事を暴かれてしまうのでは、なにかと人から敬遠されがちだったとしても無理はない。

西行と芭蕉についての話も興味深い。今では芭蕉を悪く言う人はほとんどいないが、江戸時代には攻撃した人もいた。上田秋成が「こぞのしおり」という随筆で、西行は本物だが、芭蕉は偽物であると言っているとのこと。太平の世の中に、坊さんともつかず、俗人ともつかない芭蕉が、西行を気取って歩くというのは、まやかしであるという。上田秋成の頃は、亜流の俳諧師が各地の素封家を渡り歩き、その好意に甘えていたのが目に余ったという。芭蕉自身も、確かに苦しかったこともある旅ではあったが、各地でいい思いをしたこともあったのに、それはあまり書かれていない。「奥の細道」自体が、ひとつの文学で、単なる記録ではないから、むしろ当然であろう。三木清は「人生論ノート」で、「人生は未知のものへの漂泊である」と書いているが、西行や芭蕉とかかわらせて、人生は終わりのない旅であるというのが結論である。

その他、著者は好奇心旺盛で自分の好きなことだけをやってきたというだけに、おもしろい話が多い。

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