2009年8月11日火曜日

波頭亮 プロフェッショナル原論

2006 株式会社筑摩書房

1957年生まれ 経営コンサルタント

プロフェッショナルとは、「高度な知識と技術によってクライアントの依頼事項を適えるインディペンデントな職業」である。
プロフェッショナルという概念は、古代ギリシアで医学の父と称されるヒポクラテスに始まる。「ヒポクラテスの誓い」には、正当な医者としての掟が7ヶ条にわたって示されている。
そのなかでも、
・患者の利益を第一とする
・男と女、自由人と奴隷とを差別しない
・患者の秘密を守る
という項目などは現在でも同様に尊重されている。このようにプロフェッショナルは厳しい使命感と掟とを背負っている。

プロフェッショナルの仕事は、一口に言えばハードである。「プロフェッショナルの世界は完全な実力主義である故に、年齢がいくつになっても厳しい競争にさらされていることも忘れてはならない。
50代、60代になってからも、最新のノウハウを習得して一人前に育ってきた30代や40代の新進気鋭のプロフェッショナル達と能力を競い合わなければならないのであるから、悠々自適の余裕の生活なぞ望むべくもない。・・・
プロフェッショナルな職業の特性を考えると、強靭な体力と鋭い頭脳の切れ味の両方が必要とされるが、また一方で、経験の蓄積によるスキルの向上という要素も大きい。こうした要素を考え合わせるとプロフェッショナルの職業人としての能力的ピークは40代後半から50代前半といったところだろうか。・・・」(p118)

著者のイメージするプロフェッショナルとは、医師、弁護士、会計士、建築士あるいはコンサルタントなどの自由に自分自身の能力を発揮できる職業である。それでも能力が最大限に発揮できるのは40代から50代であると想定されている。

近年、社会はますます複雑化、高度化しているため、高度な知的サービスを提供するプロフェッショナルに対する社会的要請は高まっている。いっぽうで、プロフェッショナルは一般からは一種のブラックボックスである。そのため、経済合理性またはカネがすべてという現代社会では、プロフェッショナルによる犯罪や不祥事も起きやすい。
著者は、職能をみがき、プロフェッショナリズムの掟を守ることの有効性と合理性を主張している。

私は、今日ではサラリーマンであっても、プロフェッショナルであるべきであるし、そうである場合も多いと思う。会社の仕事も専門化されており、相応の能力を要求される。仕事には、固有のノウハウがあり、仕事を習得し実際に使えるようになるには時間と労力を要する。会社は、地位や収入よりも、自分の仕事に誇りを持ち、自分の仕事を守るというプロフェッショナル意識のある人たちによって支えられている部分が多い。

しかし、時間と労力をかけて社内で獲得したプロフェッショナル的な能力や意欲も、配置転換や移動あるいは子会社や取引先への出向などによって徐々に色あせていく。むしろ、それは会社という共同体のルールである。日本の会社は村社会的共同体であり、能力を持ち自主独立の気概のあるような人は危険な人物とみなされがちである。したがって、そういう人は30代~40代で会社を出た方がいい場合がある。言いかえれば、そういうケースがあるから危険視されるのである。
多くの会社は、ひたすら組織への帰属意識の高い人間をつくって秩序を維持しようとしている。会社は専門家を必要としないし、社内に専門家がいることも認めない。
プロフェッショナルは必要な時には会社の外部に求めることになっている。サラリーマンはプロフェッショナル意識よりも、会社に対する忠誠心をはるかに多く要求されてきた。通常は、そうして最後まで残ったものが会社のトップになるのだから、それも無理のない話である。

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