2009年7月13日月曜日

森嶋通夫 なぜ日本は行き詰ったか

2004 村田安雄 森嶋瑶子訳 株式会社岩波書店

森嶋通夫 1923~2004

著者は日本人であるが、本書は海外で出版された論文集なので、日本語訳となっている。大著であり、「第1章 序論」 および 「第8章 21世紀の日本の前途」のみ読んだ。

著書多数、本書に書かれていることは、著者の最晩年の考えであろう。

「第1章 序論」では

「私の見る日本の将来像は暗澹としたものであると言わざるをえないが、このような症状を消滅させるような強力な外因が働かない限り、これは避けられないことで、その結果将来の日本人を苦しめることになるだろう」と結んでいる。

「第8章 21世紀の日本の前途」では

筆者は「生活水準は相当に高いが、活動力がなく、国際的に重要でない国、これが私の21世紀半ばにおける日本のイメージである」としている。

著者は、長い間イギリスに滞在していたのであるが、経済的分析というより、歴史学、教育社会学、宗教社会学などに基づき外部からの目で広範な日本分析を試みている。著者の構想は壮大であるが、難解でもあり、すべてが的確というわけでもない。
以下、一部を引用する。

「日本は成長余力がなくなる寸前まで経済成長を追求した。
・・・(その結果、バブルがはじけるとともに)・・・
こうして成長の追い風は全く停止してしまった。経済の帆船は全く無風の凪の中に閉じこめられ、もはや動けなくなった。しかも日本の政治家は必要な風を自主的に作り出す能力がなかった。敗戦後の占領状態が解除された後も、政治家たちがしたことはアメリカから吹いてくる風を従順に企業に中継することだけであった。日本が無風状態にある時でも、彼らは拱手傍観するしかない。
日本の政治家と官僚のこのような誰かの指令に忠実に従うという態度は、戦前・戦中の軍部独裁時代に学び取ったものである。・・・日本は卑屈なまでに忠実な敗戦国であり、このことが日本が成功した最大の理由の一つである・・・しかし風もなく、推進力もない状態では、日本は忠実にふるまうための相手を持っていないことを知った。日本のリーダーたちがこんなにひ弱く、かつ自信をなくしている限り、日本は自分がはまり込んでいる罠から脱出する力を持つ見込みはなく、日本の苦悩は限りなく続きそうである」

急速に高齢化が進んでいる現在の日本は、著者の言うように活力を失いつつあるのが現実である。

いわゆるバブルがはじけた頃から、日本は欧米に追いつけ追い越せという目標を達成すると同時に、失ってしまい、経済も低迷し、どうしていいのか分からないといのが本書の書かれた当時の状況である。
そうしているうちにも新興国が台頭し、日本は置き去りにされてしまった。

著者は、未来の経済を予想するのに、未来の社会がどのような社会になるのかを予想し、その社会ではどのような経済や文化が実現するかを予想するのである。将来の日本のリーダーは、もうすでに生まれており現代の教育を受けている人の中から現れる。50年後の日本のリーダーは現在10歳くらいである。そうすると、未来の日本がどのような社会および経済であるのかが、ある程度的確に予測できる。将来の社会を予測することは経済を予測するよりはるかに容易であると著者は言う。

p366
「国民は衰退期のローマ人のように全く自分勝手で、快楽主義で、規律がなく、そして真の指導力に欠けている。彼らがそのような状態であるがぎり、日本はローマ人と同じ道をたどるであろうとすでに言われている」

p367
「いったん没落が始まると国民の気質に変化が生じるということである。没落に際して、日本経済が二極分解すれば、組織された経済騒動や無組織の暴動がともに無秩序に起こり、この大混乱は国全体を一層深く没落状態に追い込むだろう。」

楽観的なシナリオが描けないのは、現代の延長に未来がある以上やむおえない。
私は、あとは、いかにして衰退の速度をゆるやかにできるかが課題だと思うのである。
もともと、戦争に負けた当時の日本は世界の大国になろうというような、だいそれたことを考えていなかった。小さくとも平和な国をめざしていたはずだったのである。

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