2009年6月29日月曜日

諸井薫 あるリタイアメント(その2)

ここでは、本書から2つの文章を引用させていただく。

まず、「サラリーマンの椅子」から。

「<失脚>というのは、馬で出仕する身分の武士が出仕を停止される、つまり馬という<脚>を失うことから出ていると誰かに聞いたことがあるが、真否のほどは知らない。・・・一般サラリーマンにとってのそれは、同じ脚でもオフィスの椅子ではないだろうか。・・・つまりサラリーマンの昇進というのは、名刺の肩書が変わるだけでなく、誰の目にも出世が明らかなように椅子のグレードが段階的に上がっていくわけで、サラリーマンはその次なる椅子を目指して死力を尽くす競技といえなくもない。・・・今も昔も男達の椅子に残す恨みには只ならないものがある。」

つぎに「名刺」から。

「つい二年ほど前から、私の名刺は表面に氏名だけ、裏面に事務所の住所、電話、ファクシミリの番号、自宅のそれを刷り込んだものを用いるようになった。・・・人様にこの名刺を渡すと、ほとんどの人が、『いいですね、こういうすっきりした名刺』と一種の羨望をこめてそう言う。・・・私はそのたびに、いささかの揶揄をこめてこう応じる。『・・・そうでしょうか。こういう名刺しか持てない生活というのは心細いものですよ、なんの保証もないのですから。もっともたっぷり蓄えでもあって悠々自適、仕事は単なる道楽というならまた別ですがね』
すると、自分がそんな肩書なしの名刺を持つしかなくなった日に思いをめぐらすのか、一瞬その人の目にたじろぎの色が泛ぶのを、私は意地悪くたしかめるのである。」

椅子も名刺もサラリーマン生活になじみ深いものである。

サラリーマンがリタイアしてから現役時代のことを書くと、屈折した心理が反映されがちである。会社を辞めれば、しょせん自分には関係のないことであるはずだが、会社人間であった人ほど現役時代にこだわるのかもしれない。
そうかと言って、新天地を目指せば、そこにはすでにその道の専門家がある地位を占めている。自分など、ただの素人であることを思い知らされるのである。
60過ぎてから新しいことを始めるのは大変である。それでも、未知の世界が果てしなく広がっていることを思えば、いくぶんかでも前向きな気持ちになるものだ。

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