2009年6月6日土曜日

チャールズ・ブコウスキー 死をポケットに入れて

中川五郎訳 河出書房新社 1999

72歳の作者の日記風エッセイ。たぶん翻訳も原書の雰囲気をよく出しているのだろう。翻訳というのは難しいものだ。訳者は1959年生まれ 60年代にフォークソングを歌っていた。そののち、音楽評論家・翻訳家として活動。
ロバート・クラムという挿絵画家の絵もおもしろい。

作者は恵まれない少年時代と長い下積み生活のあとで、やっと50過ぎてから小説が売れ出した。

マッキントッシュのパソコンで夜中に書いたらしい。パソコンは文章がつぎからつぎへと出てくるから作者は気に入っている。タイプライターで書くのに比べて格段の速さと正確さが得られるうえ、思考がとぎれることがない。3時間くらいつづけてパソコンに向かっている。

競馬場へしか行くところのない作者であるが、人間観察は鋭い。長年の下積み生活やいろいろかならずしも褒められるわけではない経験の賜物である。馬券売り場へ行く人間は、かならずしも賭けに勝とうとして行く人間ばかりではない。そこしか行くところがない。自分と同じような人間を探して群れ安心するのである。競馬場は、いろいろな人間を観察するにはうってつけの場所である。作家はいろいろな人間を描いている。もちろん皆、負けた者たちである。

人が集まる所、人間観察のできない所はない。ちなみに、図書館でさえいろいろな人間がいる。一日中おなじ席に座って新聞やなにやらの本を読んでいる人間もいる。はたして、彼らは本当に読んでいるのか、それとも何か読んでいるふりをして時間をただつぶしているのか分からない。まあ、新聞だけでは一日中持つまい。彼らも他の人間を観察しているのだろう。とりわけ、子供のしぐさを観察するのは、老人の楽しみであることも事実である。

投げやりのなかに、哀感がただよう。そこに真実を見る思いがする。この作家のファンが多いのもうなずける。死は世間では、ありきたりのものではなく、特別なものだと思われている。しかし、人間の数と同じだけ死はあることを考えれば、どこにでもころがっているものだ。死なない人間はいない。年老いてくればなおさらのことである。作者は居直っている。もうじき死ぬという事実こそが、老人にパワーを与えているのである。もういつ死んでもいいと思えば恐れるものはない。

人は生きているうちは死を感じることはできない。だが、年とともに確実に死は近づいている。作者によれば、腕の良い狩人が獲物を仕留めるのに獲物に気付かれることの無いかのごとくである。だから、人は、むしろ偶然生きているというのが正しい。

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