2009年6月5日金曜日

人間パソコン論?

女性を「生む機械」にたとえて攻撃された大臣がいたが、悪気はなかったのだろうが、不用意な発言であった。
機械を擬人化する話ならいくらでもありそうだ。子供にたいへん人気のある「機関車トーマス」もそうだし、かってノーバート・ウィナーという学者の著作で「人間機械論」というのもある。
もっとも、あらためて原書のタイトルをみると"THE HUMAN USE OF HUMAN BEINGS"となっている。今なら、こういう訳はしなかったかもしれない。
それで、私はパソコンというのは人間に似ているような気がするのである。
もちろん、コンピューターはどんなに進歩しても考えることはできない。ただ、パソコンの機能などが、どことなく人間に似ているのである。
たとえばCPU(脳)はしっかりしているのにプリンターなどの機械的に動く部分は、動作もずっと遅く、かつより早くガタがくるのである。これなど人の目や脚、歯があたまより先に衰えていくのにたとえられよう。しかも、神様は人に一度しかパソコンを買ってくれないのである。「古くなったから、新しいパソコンを買ってよ」と神様にお願いしてもだめである。
「一生使う約束だよ。お前にも若いころは、はなばなしい時もあったろう」と言われてしまうのである。
あまり愉快なたとえではないが、これから老年に向かう人間の発想とはこんなものである。人の場合、せいぜいメンテナンスをしっかりして古いパソコンのようにならないよう努力すべしということになるのだろう。

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